一乗庵
ICHIJOAN
[ Map# 24 ]
由緒ある場所に佇む
池を望む法多山の迎賓室
かつて法多山にあった一乗院という寺院跡地に高野山の杉を使って建てられた貴賓室です。今では、穏やかな時を過ごす贅沢な空間として訪れる方を迎えています。
1200年の歴史を持つ法多山は、江戸時代まで複数のお寺が集合した場所で「法多山」と呼ばれていました。当時の法多山は、塔頭寺院と呼ばれる複数のお寺の集合体でした。明治になり、神仏分離令によって複数のお寺を統合することになり、今日では12坊あった寺院の筆頭である「正法院」に統合し、「法多山尊永寺」として現在に至っています。
明治元年の神仏分離令は、明治政府が1868年に神道の国教化政策を行う為、神社から仏教的な要素を排除しようとしました。これが神仏分離政策です。
江戸時代までは、寺院の中に神社があったり、神社の中にお寺があったり、日本では多くの寺院や神社が混在し、賑やかで豊かな文化がありました。
地域で暮らす人々にとって、寺院は祈りの場所だけでなく、市場の立つ市での買い物や寺子屋などの学びの場、見世物小屋や飲食店が立ち並び、出会いや異文化を知る場所であったり、まるでヨーロッパの街の中心の広場の教会や、現在のショッピングモール的な要素を持っていたと考えられます。現在の法多山で行われている数々の宗教的な行事や、イベント的な催事などは、私たち市民の豊かな文化と生活をお寺に取り戻したいという法多山の願いが込められています。
法多山に12坊あった寺院は、一番大きかった「正法院」と現在、紫雲閣と一乗庵のあるところにあった「一乗院」の二つが残ったのですが、明治20年に原因不明の出火で一乗院が失われ、今では正法院(現・本坊)しか残っていません。

昭和43年(1968年)の御開帳の行事に合わせ、来客を迎える「客殿」が必要となり、昭和41年(1966年)に一乗院のあった場所に作られた客殿は「一乗庵」と名付けられ、池を望むお茶室付きの貴賓室となりました。

法多山の宗派である真言宗の総本山である高野山の杉と赤石松木を使い建てられた一乗庵は、当初は檜皮葺でしたが、現在は銅版葺に葺き替えられています。
貴賓室だけあり、素晴らしい建物や風景なのですが、そのままでは多くの方に楽しんでもらうことが出来ないため、現在では茶室や貴賓室としての使用でなく、「ごりやくカフェ」として多くの方に開かれた空間として公開されています。

迎賓のために作られた一乗庵は形を変え、法多山に来られる方へのおもてなしの空間として、ゆっくりと庭の景色を楽しみながら過ごすことができる場所へと時代に合わせて変わっていきました。長い時代の流れの中で、役割や用途は変われども、多くの方に開かれた場所であるお寺で豊かな時を過ごしてもらいたいという願いに変わりはありません。
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