法多山縁起
法多山は、寺号を尊永寺と称する、
高野山真言宗の別格本山です。
本尊正観世音菩薩は厄除開運の
ご利益に霊験あらたかであるとして、
俗に厄除観音と呼ばれております。
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略縁起
ABOUT
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法多山は、寺号を尊永寺と称する、高野山真言宗の別格本山です。本尊正観世音菩薩は厄除開運のご利益に霊験あらたかであるとして、古来より俗に厄除観音と呼ばれております。神亀二年(七二五)、聖武天皇の勅命を受けた行基上人が大悲観音応臨の聖地をこの地に探し求め、自ら刻んだ本尊正観世音菩薩を安置したのが縁起といわれています。本尊の霊徳は遠く京都に及び、白河、後白河天皇の勅願あつく定額寺の列に加えられていました。その後今川、豊臣、徳川等武将の信仰を得て、特に慶長七年(一六〇二)、徳川家康公より五万石の格式を以って遇せられ、一山十二坊の法燈が栄えましたが、明治維新に朱印地返還、十二坊を廃して総号尊永寺と改め今日に至りました。
法多山の歴史
HISTORY
− 神亀二年(725年)
聖武天皇の勅により行基上人開創、
正観世音菩薩を安置する。

− 大同年間(806~9年)
弘法大師登山して内仏不動明王尊像を謹刻、安置する。

− 承保年間(1074~76年)
白河天皇勅使を差遣し、密教法具の寄進あり。

− 保元年間(1156~58年)
後白河天皇勅使を差遣、法具・仏画の寄進あり、
定額寺に加えられる。

− 天文二年(1533年)
今川氏輝、先例に習い二百五石の寺領寄進あり。

− 永禄年間(1558~69年)
武田勢の兵火を罹り、全山焼失、旧記資料等悉く焼失せり。

− 天正十八年(1590年)
豊臣秀吉公先例に習い二百五石東西五十町、
南北十町の寺領の寄進あり。
− 慶長七年(1602年)
徳川家康公先例に習い朱印御下附あり、
国家安泰、武運長久の祈願奉修納経せり。

− 昭和二十九年(1954年)
仁王門及び棟札、重要文化財に指定される。

− 昭和三十一年(1956年)
密具金銅五種鈴、重要文化財に指定される。

− 昭和四十一年(1966年)
寺格を別格本山に昇格す。

− 昭和四十三年(1968年)
本尊開扉大法要(六一年毎)を三十三日間営む。

− 昭和五十八年(1983年)
本堂を再建し、昭和大本堂落慶す。
境内案内図
MAP
[文化財]
法多山には、仁王門をはじめとした四つの文化財があります。
国指定重要文化財 「仁王門」
寛永17年(1640)建立。江戸時代初期の建立でありながら桃山時代の遺風もよく残している。法多山の総門にふさわしい雄大かつ豪壮な三間一戸の楼門。

>[境内のご案内] 仁王門
>[縁起の物語] 仁王門
国指定重要文化財「金銅五種鈴(こんどうごしゅれい)
独鈷鈴、三鈷鈴、五鈷鈴、宝珠鈴、宝塔鈴の五口を一組とする鈴。承保年間白河法皇より寄進された密教法具の一部とされている。東京国立博物館に委託収蔵。
国指定重要無形民俗文化財「田遊祭」
1月7日に行われる、室町時代より法多地域に伝わる五穀豊穰を祈願する祭り。村方衆により本堂前の北谷寺で奉納される七段の舞は、米作りの過程を七段構成の舞楽で表現したものである。

>[季節の催し物] 田遊祭
市指定文化財「黒門」
宝永8年(1711)建立。旧塔頭寺院正法院の山門で、全体が黒塗りであることから黒門と呼ばれる。 江戸時代中期の建築様式を伝える桧皮葺の四脚門。

>[境内のご案内] 黒門
>[縁起の物語] 黒門
伝統
TRADITION
今日でも脈々と受け継がれる伝統を守り、多くの参拝者で賑わっています。
大祭日
田遊祭
節分祭
星祭
不動祭
万灯祭
1月7日
2月節分当日
2月15日~17日
4月28日
7月9日・10日
季節の催し
さくらまつり
ホタルまつり
風鈴まつり
星満夜
もみじまつり
3月下旬~4月上旬
5月下旬~6月上旬
6月~8月末
9月下旬~10月上旬の週末
11月下旬~12月上旬
広い境内には、四季折々の風景を楽しむ参拝者が訪れ、風光明媚な境内では年間を通じて多くの催しが行われます。
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