田遊祭
(国指定重要無形民俗文化財)
TAASOBISAI
一月七日
11:30より行列出発、12:30より七段の舞奉納
700年続く希祭「田遊祭」1月7日には、遠州の神様が法多山に集まります
室町時代より法多地域に伝わる五穀豊穰を祈願するお祭りです。本堂を目指して時代装束に身を包んだ村方衆と寺方衆が杉並木の参道を進みます。村方衆により本堂前の北谷寺で奉納される七段の舞は、米作りの過程を七段構成の舞楽で表現したもので、民俗学的にも貴重なものとして有名です。祭りの最後の放ち矢の神事の後に、福餅投げが行われます。
田遊祭は約700年前より法多山尊永寺に伝わる民俗芸能です。2024年1月、国の指定する「重要無形民俗文化財」となりました。
法多山に伝わる「田遊祭」は、寺院の宗教行事である「修正会」と民俗芸能である「田遊び」が結びついたものです。ユーモラスな「牛ほめ」や遠州地方の神様の名を挙げて言祝ぐ「神となえ」などの地域性豊かな特色が評価され「国指定重要無形民俗文化財」に指定されました。民と仏教の融合した貴重な祭として700年脈々と受け継がれた催しです。
700年前の室町時代からと伝わるが、演者が口にする謡(うたい)の語句の中には、さらに古い鎌倉時代(1185年~)のものの言い回しやメロディーが入っており、時代の変遷を超え今も伝わります。
約700年脈々と伝わる謡(うたい)と呼ばれる台詞には、代々口伝で伝わり、「けんしゅうこくのこうか」で始まるなど、多くの謎や伝承が残り研究の対象とされています。
本堂前にある北谷寺で奉納される七段の芸能の中のひとつ「神となえ」と呼ばれる儀式では、磐田、天竜、金谷、御前崎、掛川など、この遠州地域の神様の名が地図の螺旋状に次々と呼ばれ、周辺の神様がこの日ばかりは法多山に一堂に会すると伝わります。
様々な衣装に身を包み、鐘や太鼓、弓などを携えた「村方衆」と、僧侶からなる「寺方衆」とが合流し、本堂に向かい、この祭は行われます。
「寺方衆」により、本堂前で厳かな読経が行われます。見学者も多く、毎年正月1月7日の法多山の本堂前は田遊祭として、曜日に関係なく行われ多くの参拝客で賑わいます。
厳粛な雰囲気の中、北谷寺で行われる太刀の舞(たちのまい)、田遊祭は地元、法多の保存会の方たちが行ってくれています。年末年始に練習し、一軒につき一名、踊るのは男性のみ、総勢30名の方たちが厳しい練習と伝承を続け、長い歴史を今に伝えてくれています。

田遊祭の中盤の盛り上がりで登場する「牛ほめ」には狂言要素も多く含まれ、兄弟と兄嫁が登場し、牛を誉め、酒を飲まされた牛が暴れ境内を練り歩く様が描かれます。
祭の後半には、法多山本堂脇にあるこの地の鎮守である白山神社に登り、弓をつがえ矢を放つ「大矢放ち」の神事を行います。
田遊祭は「予祝(よしゅく)芸能」と呼ばれ、こういうことが起きたら良いな、という事を模倣し、福を呼び込む願いが込められています。
予祝とははるかな昔から行われており、縄文時代には、土で作られた貝殻が貝塚の中から見つかるほど、古くからこの国の人々の願いを込めた行いです。
今に残されているのは尊い先達から引き継いだ志を持つ地元の方たちの努力のたまものです。口伝や行動を有する無形文化財を残すのは建物を残すよりはるかに難しく、毎年、代々続けなければ残らない伝統の祭です。厳しい修練と共に、五穀豊穣の祈願と民俗芸能の品位と情緒を永久に保存、継承するという目的で集う「法多山田遊祭保存会」の皆様のおかげで700年の歳月を超え、未来に引き継がれています。


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