鐘楼堂
SHOUROUDO
[ Map# 8 ]
法多山に伝わる三代の鐘の物語
元の梵鐘は戦時中に供出されてしまったため、現在の梵鐘は昭和39年に人間国宝であった香取正彦博士により鋳造されたものです。 大晦日には午後11時30分より先着順に108回の除夜の鐘突きができるため、多くの善男善女で賑わいます。
法多山に伝わる三代の鐘の物語

お参りを済ませ、法多山の本堂からゆったりと山を降りる際に、右手に見えてくる櫓のような建築物が、法多山の鐘を吊るす「鐘楼堂(しょうろうどう)」です。
秋には色鮮やかな紅葉に囲まれ、写真スポットとしても親しまれる鐘楼堂ですが、美しい音色を響かせるこの鐘には、1200年の法多山の歴史の中で、いくつもの物語が残されています。
曰く、初代の鐘は素晴らしい音色であったが、あまりに響く音が凄すぎて、前の浜、太平洋まで音が響き渡り、魚が逃げてしまう…、それに困った漁師が鐘を盗み出し、船で沖に運んで捨ててしまった…、今でも潮が引くと、海底に鐘が見えたり音が聞こえる。という伝説、民話がこの地域には残されています。
また、二代目の鐘の作者は森町の鋳物師山田七郎左衛門の手になるものと伝わり、1838年(天保9年)に山田七郎左衛門は、法多山の鐘の鋳造を2人の手代を率いて指揮した。 この際、紋付に烏帽子(えぼし)を着用し、脇では、飯田の最勝院(さいしょういん)が祈祷をしていた。と伝わる絵図が残されています。また、現在の梵鐘にも、旧梵鐘が天保の時代に鋳造された旨が刻まれています。
現在、使用されているのは三代目の鐘であり、第二次大戦中に供出した梵鐘と荒廃した鐘楼堂を1964年(昭和39年)に設計を田辺泰博士、梵鐘を香取正彦博士によって再建されました。

香取正彦博士(かとり まさひこ、1899年- 1988年)は、日本の鋳金工芸作家であり、東京美術学校鋳金科を卒業、1977年(昭和52年)に梵鐘の分野で重要無形文化財保持者(「人間国宝」)に認定された方です。
鐘楼堂にかつて吊るされ、この地域の時を知らせていた二代目の鐘は、戦時中に金属が不足したので、参道にあった青銅製の灯篭と共に、軍部に供出させられました。先々代の住職大谷純信は、戦後、供出した鐘が四日市で見つかったと報を受け、とるものもとりあえず鐘の元に向かうと、見るも無残な姿になっていた鐘を見、大いに落胆し嘆き「実ちて往き、虚しく帰って来た」と伝わります。
現在でもその時に復刻し建立した黒門脇の灯籠には、「戦時中に供出し、純信代にこれを再建す」と刻まれています。生きとし生けるものを慈しむ仏様の教えを、平和の世が末永く続くように、今も法多山では時をこえる祈りを込めた鐘の音が響きます。
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